NIKE DUNK "MICHIGAN"と日本のスニーカーシーン

NIKE DUNK "MICHIGAN"と日本のスニーカーシーン

今回はNIKE DUNK シリーズから「MICHIGAN(ミシガン)大学」モデルと日本スニーカーシーンにおける歴史をご紹介いたします。

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◇NIKE DUNKとは?

1985年、NIKEがアメリカ大学バスケである「NCAA」に向けてスタートした「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」プロジェクト。

NIKEは各大学に向けてのプロモーションとして、NIKE DUNKを開発しました。

全7校に向けてそれぞれのスクールカラーをシューズに取り入れ、試合で着用されたDUNKは瞬く間にシューズ業界へ影響を与えました。

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その中の1校であったのが、MICHIGAN大学。

日本では1992年頃から始まったヴィンテージブームを皮切りに爆発的な人気を誇り、今ではすっかり馴染み深いDUNKの1つとして浸透しました。

また、さらなる火付け役となったのが、あの「藤原 ヒロシ」氏。

裏原カルチャーの中で絶大な支持を誇る藤原氏が雑誌等で紹介するや否や、人気へ更に拍車がかかりました。

(驚くことに、当時、藤原ヒロシ氏はスケートボードで使用していました。)

・出典:「藤原ヒロシのスニーカー全記録より」 (SHOES MASTER 編集部)

 

そして、大変貴重とされていた1985年モデルはFAKE品も多数作られるほど、スニーカー・ファッションシーンに影響を与える存在に。

そして、1998年。日本企画のプロジェクトから満を持して初復刻を遂げます。

ディテールはさながら、オリジナルとヒールタブのカラーが異なるなど、完全復刻とはいかなかったものの、この復刻がスニーカーファン待望の瞬間となりました。

・上:1985年モデル/下:1998年モデル

・手前:1985年モデル/奥:1998年モデル

 

以来、2003年・2005年(SB)・2008年・2016年・2020年と、現在に至るまで6度の復刻を遂げ、日本でDUNKといえば「MICHIGAN」と親しまれています。

誰もが1度は手にしたいこの1足。

みなさんも是非、手に入れてみてはいかがでしょうか。

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